本連載では書籍『大前研一ビジネスジャーナルNo.11』(2016年8月発行)より、日本の「地方創生」の課題に迫ります(本記事の解説は2015年7月の大前研一さんの経営セミナー「イタリア『国破れて地方都市あり』の真髄」より編集部にて再編集・収録しました)。
毛織物の町に渦巻く「Made in Italy by Chinese」の憂鬱
カルピのように、ニットの縫製工程を中国人経営の企業が担うという現象は、他の町でも起きています。
トスカーナ州のプラートは、毛織物の産地として栄えてきた町ですが、近年は中国企業の流入による複雑な問題を抱えています。
イタリアに限らずどこの国においても、労働集約型の縫製工程などは国外にシフトしていき、最終的には中国に行き着きます。
ところが、中国で作られるようになると、原産地の財産であるデザイン等もすべて中国に持っていかれてしまいます。これは産業の死活問題ですから、イタリアは中国に流れることを食い止めてきたのです。
ところが、拒否を続けていたら反対に、中国から人馬一体でイタリアにやって来てしまいました。そして、町外れに中国人が経営する縫製会社が続々とできていきました。
彼らは使いやすい中国人を雇って、ブラック企業さながらに働かせます。もちろん不法滞在者も大勢います。地元住民とは交わらないので実態は不明ですが、縫製をポンと頼めば、ポンとできあがってくる。
それらが低価格製品として欧州はじめ海外の市場へ出て行くことで、皮肉にも輸出が拡大されつつあるのです。
もちろん手放しに喜べるはずはありません。中国人が激増する中で、目に余る脱税、地元経済への貢献度の低さなど、さまざまな問題が生まれているのが現実です(図-24)。
問題が生じる一方で、中国人がいなければ「Made in Italy」の輸出が追いつかない…そんなジレンマを抱えたこの状況を地元では「Made in Italy by Chinese」と冷やかしの言葉で表現しています。
トスカーナ州のプラートは、毛織物の産地として栄えてきた町ですが、近年は中国企業の流入による複雑な問題を抱えています。
イタリアに限らずどこの国においても、労働集約型の縫製工程などは国外にシフトしていき、最終的には中国に行き着きます。
ところが、中国で作られるようになると、原産地の財産であるデザイン等もすべて中国に持っていかれてしまいます。これは産業の死活問題ですから、イタリアは中国に流れることを食い止めてきたのです。
ところが、拒否を続けていたら反対に、中国から人馬一体でイタリアにやって来てしまいました。そして、町外れに中国人が経営する縫製会社が続々とできていきました。
彼らは使いやすい中国人を雇って、ブラック企業さながらに働かせます。もちろん不法滞在者も大勢います。地元住民とは交わらないので実態は不明ですが、縫製をポンと頼めば、ポンとできあがってくる。
それらが低価格製品として欧州はじめ海外の市場へ出て行くことで、皮肉にも輸出が拡大されつつあるのです。
もちろん手放しに喜べるはずはありません。中国人が激増する中で、目に余る脱税、地元経済への貢献度の低さなど、さまざまな問題が生まれているのが現実です(図-24)。
問題が生じる一方で、中国人がいなければ「Made in Italy」の輸出が追いつかない…そんなジレンマを抱えたこの状況を地元では「Made in Italy by Chinese」と冷やかしの言葉で表現しています。
新興成長国へのデザイン流出の危機感
こうした中国勢に対する悩みは、イタリアの地場産業全体にとって大きな問題となっており、アパレルに限らず、ヴィチェンツァのジュエリーでも同じような問題が発生しています。
結局のところ、デザインを必死に守ろうとしたところで、プラートのように中国人経営者が流入してくる、あるいはイタリア国内のデザイン学校に中国から留学生が大挙してやって来るということになるのです。
もちろん入学を拒否するわけには行きません。さらに厄介なことに、心得の悪いデザイン学校は、さらに多くの学生を囲い込もうと、利益目的で中国に分校を設立してしまう。当然、守られてきた「Made in Italy」の核心は漏れていきます。以前ヴィチェンツァに講演で呼ばれて行った際、このような事態を嘆く声をずいぶん聞いたものです。
実はイタリアは、中国以前にトルコに対して、同様の懸念を抱いていました。トルコのアパレル企業にデザインを持っていかれるのではないかと恐れていたのです。
ところが、結果としてそれは杞憂に終わりました。というのも、経済成長の中でアパレルの輸出を伸ばしてきたトルコですが、独自のデザイン、ブランドはなかなか生まれなかった。そのため、イタリア人デザイナーがトルコに赴いてデザインをするというスタイルが定着したのです。
結局のところ、デザインを必死に守ろうとしたところで、プラートのように中国人経営者が流入してくる、あるいはイタリア国内のデザイン学校に中国から留学生が大挙してやって来るということになるのです。
もちろん入学を拒否するわけには行きません。さらに厄介なことに、心得の悪いデザイン学校は、さらに多くの学生を囲い込もうと、利益目的で中国に分校を設立してしまう。当然、守られてきた「Made in Italy」の核心は漏れていきます。以前ヴィチェンツァに講演で呼ばれて行った際、このような事態を嘆く声をずいぶん聞いたものです。
実はイタリアは、中国以前にトルコに対して、同様の懸念を抱いていました。トルコのアパレル企業にデザインを持っていかれるのではないかと恐れていたのです。
ところが、結果としてそれは杞憂に終わりました。というのも、経済成長の中でアパレルの輸出を伸ばしてきたトルコですが、独自のデザイン、ブランドはなかなか生まれなかった。そのため、イタリア人デザイナーがトルコに赴いてデザインをするというスタイルが定着したのです。
イタリア国内で金曜日に仕事を終えてから飛行機に乗っても3時間ほどでトルコに着きますので、土曜日にトルコで仕事をして日曜日に帰ってくれば、月曜日からはまた何食わぬ顔でイタリアで仕事ができます。
言わば「Design by Italy」および「Made in Turkey」です。こうしてできた製品をトルコのブランドとしてロシアなどへ輸出しています。
言わば「Design by Italy」および「Made in Turkey」です。こうしてできた製品をトルコのブランドとしてロシアなどへ輸出しています。
大手企業による統合戦略で眼鏡産業を成長させたベッルーノ
ヴェネト州のベッルーノは眼鏡の一大産地です。このベッルーノは、これまで紹介してきた地場産業とは、少し異なります。
図-25をご覧ください。右側に示したのは、ベッルーノの眼鏡産業の大手5社です。最大手・ルクソティカ の1社のみで、イタリア全体の売り上げの約76%を占めています。また、この大手5社だけで、ベッルーノ全体の売上高の98%を、さらに雇用の3/4以上を占めています。
同図の中央のグラフは、ベッルーノの企業数、輸出額、従業者数を示していますが、企業数を減少させながらも、雇用を維持し、輸出を伸ばしてきたことがわかります。
ベッルーノの眼鏡産業を守るべく、大手企業が地元の中小下請け製造企業を吸収しながら、さまざまな手段で成長を続けてきた結果です。
イタリア全体の76%という莫大な売り上げを生み出すルクソティカですが、一体どのような戦略で成長を遂げてきたのでしょうか。
図-25をご覧ください。右側に示したのは、ベッルーノの眼鏡産業の大手5社です。最大手・ルクソティカ の1社のみで、イタリア全体の売り上げの約76%を占めています。また、この大手5社だけで、ベッルーノ全体の売上高の98%を、さらに雇用の3/4以上を占めています。
同図の中央のグラフは、ベッルーノの企業数、輸出額、従業者数を示していますが、企業数を減少させながらも、雇用を維持し、輸出を伸ばしてきたことがわかります。
ベッルーノの眼鏡産業を守るべく、大手企業が地元の中小下請け製造企業を吸収しながら、さまざまな手段で成長を続けてきた結果です。
イタリア全体の76%という莫大な売り上げを生み出すルクソティカですが、一体どのような戦略で成長を遂げてきたのでしょうか。
まず、世界的なファッションブランドとライセンス契約をしました。
シャネル、プラダ、ブルガリなど、アパレルや靴で有名になったけれど眼鏡はなかった、というようなブランドです。そのようなブランドとライセンス契約すると同時に、サングラスのレイバンなどを買収し、自社でもブランドを保有するようになりました。
また、世界的小売りチェーン店を買収することで、販売網を世界に広げています。
製造に関しては、一部の部品などを低コストの海外生産拠点にシフトしつつも、買収した地元企業が生産工程を請け負いますから、基本的に内製が可能となり、ほぼ純粋な「Made in Italy」ブランドを維持できています。
このように、製品開発から小売りまでの全工程であらゆる統合を行ってきたことで、巨大な企業へと成長してきたのです。
シャネル、プラダ、ブルガリなど、アパレルや靴で有名になったけれど眼鏡はなかった、というようなブランドです。そのようなブランドとライセンス契約すると同時に、サングラスのレイバンなどを買収し、自社でもブランドを保有するようになりました。
また、世界的小売りチェーン店を買収することで、販売網を世界に広げています。
製造に関しては、一部の部品などを低コストの海外生産拠点にシフトしつつも、買収した地元企業が生産工程を請け負いますから、基本的に内製が可能となり、ほぼ純粋な「Made in Italy」ブランドを維持できています。
このように、製品開発から小売りまでの全工程であらゆる統合を行ってきたことで、巨大な企業へと成長してきたのです。
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¥1,500
『大前研一ビジネスジャーナル No.11(日本の地方は世界を見よ! イタリア&世界に学ぶ地方創生)』
まるごと「地方創生」号。
・地方創生の前に立ちはだかる「中央集権」の壁/
・顧客セグメントの違いと地方産業が安定化するサイクル/
・デザインの根幹にある哲学と美意識がブランドを創出/
他
まるごと「地方創生」号。
・地方創生の前に立ちはだかる「中央集権」の壁/
・顧客セグメントの違いと地方産業が安定化するサイクル/
・デザインの根幹にある哲学と美意識がブランドを創出/
他
圧倒的な観光資源で年間4,636万人の旅行者を呼び込む
ここからは、イタリアの主要産業の1つである観光産業について紹介していきます。そして、イタリアという国がいかに世界に開き、いかに世界を惹きつけ続けているのか、その答えを探っていきたいと思います。
歴史的建造物が多く、著名な都市がいくつもあるイタリアは、世界中から観光客がやって来る観光立国というイメージが強いでしょう。
図-26をご覧ください。左側は、外国人旅行者の受け入れ数のランキングです。2014年度の第1位はフランスで、年間8,370万人が訪れています。次いで、米国7,475万人、スペイン6,499万人,中国5,562万人、と続き、第5位にイタリアが4,857万人でトップ5入りしています。ちなみに日本は1,341万人で第22位です。
イタリアを訪れる旅行者の中には、国外在住の8,500万人のイタリア系の人々が、自身のルーツであるイタリア、祖父母の生まれ故郷などを訪ねて来るケースも多く含まれています。
歴史的建造物が多く、著名な都市がいくつもあるイタリアは、世界中から観光客がやって来る観光立国というイメージが強いでしょう。
図-26をご覧ください。左側は、外国人旅行者の受け入れ数のランキングです。2014年度の第1位はフランスで、年間8,370万人が訪れています。次いで、米国7,475万人、スペイン6,499万人,中国5,562万人、と続き、第5位にイタリアが4,857万人でトップ5入りしています。ちなみに日本は1,341万人で第22位です。
イタリアを訪れる旅行者の中には、国外在住の8,500万人のイタリア系の人々が、自身のルーツであるイタリア、祖父母の生まれ故郷などを訪ねて来るケースも多く含まれています。
観光資源としては、これまで紹介してきた個性に満ちた都市、歴史的建造物、ワインやチーズ、ハム、魚介類など美味しい食、多様な自然景観、表情豊かな海岸線などとにかく豊富で、「歴史」「伝統」「文化」がイタリア中にあふれています。
観光資源はフランスよりも豊富ではないかと思うほどです。海岸線なんて本当に風光明媚で素晴らしいです。
イタリアの圧倒的な観光資源と比較すると、日本はまだまだ、海外から旅行者を呼び込む決め手となる観光資源を確立できているとは言えません。
観光資源はフランスよりも豊富ではないかと思うほどです。海岸線なんて本当に風光明媚で素晴らしいです。
イタリアの圧倒的な観光資源と比較すると、日本はまだまだ、海外から旅行者を呼び込む決め手となる観光資源を確立できているとは言えません。
世界の人々を魅了する美しい町
独特の魅力を放つイタリアの町を紹介しましょう(図-27)。
言わずと知れたヴェネツィアは、海に浮かぶ群島から形成される都市で、かつて強大なヴェネツィア王国として、アドリア海を支配していた歴史があります。
ラグーナと呼ばれる干潟の上に118の人工島があり、それぞれが150の運河を挟んで400もの橋でつながれているという、世界にも類を見ない海上都市です。
美味しい魚介料理を楽しめる美食の街でもあり、「ホテル ダニエリ」のレストランは、五感を目覚めさせる世界一の朝食を味わうことができることで有名です。
ヴェネツィアは年々地盤が沈下しており、何十年も通っている私から見ても、昔に比べると数十センチは沈んでいますから、島全体を持ち上げる新しい工法を考えるなどしなければ、沈む王国となることを避けられません。
もう1つ紹介するのは、北イタリア、ロンバルディア州にあるコモの町です。コモは周囲を緑豊かな山々に囲まれており、古代ローマ時代の建造物や城壁といった史跡も多い、歴史的かつ自然観光資源に恵まれた人気の観光地です。
中でもコモ湖畔に位置するベラージオという小さな町は、その町並みと湖畔の風景が美しく、リゾート地として人気の高い町です。
言わずと知れたヴェネツィアは、海に浮かぶ群島から形成される都市で、かつて強大なヴェネツィア王国として、アドリア海を支配していた歴史があります。
ラグーナと呼ばれる干潟の上に118の人工島があり、それぞれが150の運河を挟んで400もの橋でつながれているという、世界にも類を見ない海上都市です。
美味しい魚介料理を楽しめる美食の街でもあり、「ホテル ダニエリ」のレストランは、五感を目覚めさせる世界一の朝食を味わうことができることで有名です。
ヴェネツィアは年々地盤が沈下しており、何十年も通っている私から見ても、昔に比べると数十センチは沈んでいますから、島全体を持ち上げる新しい工法を考えるなどしなければ、沈む王国となることを避けられません。
もう1つ紹介するのは、北イタリア、ロンバルディア州にあるコモの町です。コモは周囲を緑豊かな山々に囲まれており、古代ローマ時代の建造物や城壁といった史跡も多い、歴史的かつ自然観光資源に恵まれた人気の観光地です。
中でもコモ湖畔に位置するベラージオという小さな町は、その町並みと湖畔の風景が美しく、リゾート地として人気の高い町です。
ワイン生産高は世界一 最高の味わいが各地に
イタリアの観光を語る上で欠かせないものに、ワインがあります。
図-28をご覧ください。意外と知られていないのですが、実はイタリアはフランスよりもワインの生産高で上回る、世界一のワイン生産国なのです。
図-28をご覧ください。意外と知られていないのですが、実はイタリアはフランスよりもワインの生産高で上回る、世界一のワイン生産国なのです。
イタリアの中でもワイン生産が盛んなのが、ピエモンテ州とトスカーナ州で、銘柄としては、ピエモンテならバローロやバルバレスコ、トスカーナならキャンティやキャンティ・クラシコなどが有名どころでしょうか。
もちろん、この2州以外でも生産されており、産地ごとにそれぞれ強い特徴があります。北イタリア、アルプスのほうではオーストリア系やライン系、いわゆるドイツワインと同系の味になります。図にはありませんが、私的にはシチリアのプラネタの白ワインは最高だと思っています。
もちろん、この2州以外でも生産されており、産地ごとにそれぞれ強い特徴があります。北イタリア、アルプスのほうではオーストリア系やライン系、いわゆるドイツワインと同系の味になります。図にはありませんが、私的にはシチリアのプラネタの白ワインは最高だと思っています。
農村の困窮を救ったアグリツーリズモ
文化、史跡、風景、ワインをはじめとする食など、特徴の異なる魅力的な町が点在するイタリアでは、「農村」そのものも観光資源として注目を集めています。
外国人旅行者、中でも米国からの旅行者の間では、イタリアの農村を1週間ほどかけて徒歩で回るスタイルの「アグリツーリズモ」が人気です。農村で営まれるスローライフ、そこで取り組まれるスローフードなどを、同行のガイドが細かく説明してくれます。
アグリツーリズモが盛んな地域は、北部はロンバルディア州、ヴェネト州、エミリア・ロマーニャ州など、中部はラツィオ州、トスカーナ州など、南部ではカンパニア州などです(図-29)。
私の好きな、カンパニア州のアマルフィ海岸の町・ポジターノあたりでも、1週間かけて急峻な斜面を上り下りしながら農村を巡るようなパッケージツアーがあります。
荷物は車で、人間は徒歩で移動し、ちょうど昼に○○に着いてランチを食べて、夜は△△に到着してそこで眠る、など、各ポイントに立ち寄りながら、ゆっくりと旅をします。広いエリアをあちらこちら訪れるのとはまた違った意味で、贅沢な旅です。
外国人旅行者、中でも米国からの旅行者の間では、イタリアの農村を1週間ほどかけて徒歩で回るスタイルの「アグリツーリズモ」が人気です。農村で営まれるスローライフ、そこで取り組まれるスローフードなどを、同行のガイドが細かく説明してくれます。
アグリツーリズモが盛んな地域は、北部はロンバルディア州、ヴェネト州、エミリア・ロマーニャ州など、中部はラツィオ州、トスカーナ州など、南部ではカンパニア州などです(図-29)。
私の好きな、カンパニア州のアマルフィ海岸の町・ポジターノあたりでも、1週間かけて急峻な斜面を上り下りしながら農村を巡るようなパッケージツアーがあります。
荷物は車で、人間は徒歩で移動し、ちょうど昼に○○に着いてランチを食べて、夜は△△に到着してそこで眠る、など、各ポイントに立ち寄りながら、ゆっくりと旅をします。広いエリアをあちらこちら訪れるのとはまた違った意味で、贅沢な旅です。
なぜ地方の農村は、このようなアグリツーリズモに取り組むことになったのでしょうか。トスカーナ州の取り組みを例に挙げると、1960年代当時、同じ州の中でもフィレンツェには観光客があふれている一方で、農村では過疎が進み、経済が困窮していたという背景があります。
その貧しさを出発点に、トスカーナ州の侯爵と職員たちが設立したのが、アグリツーリズモ協会です。
地方色豊かな美食を経済の活性化に生かすことが考えられ、1980年代のスローフード運動の後押しもあり、アグリツーリズモへの注目が高まりました。そして21世紀に入り価値観が一層多様化していく中で、スローライフの思想が浸透し、アグリツーリズモが拡大していったのです。
こうした取り組みの結果、農家の所得は改善し、社会的にも農村の文化や役割が大きく向上していきました。アグリツーリズモが認知されたことで、豊かな食文化はさらに磨かれていっています。
その貧しさを出発点に、トスカーナ州の侯爵と職員たちが設立したのが、アグリツーリズモ協会です。
地方色豊かな美食を経済の活性化に生かすことが考えられ、1980年代のスローフード運動の後押しもあり、アグリツーリズモへの注目が高まりました。そして21世紀に入り価値観が一層多様化していく中で、スローライフの思想が浸透し、アグリツーリズモが拡大していったのです。
こうした取り組みの結果、農家の所得は改善し、社会的にも農村の文化や役割が大きく向上していきました。アグリツーリズモが認知されたことで、豊かな食文化はさらに磨かれていっています。
(次回へ続く)
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大前研一ビジネスジャーナル No.11(日本の地方は世界を見よ! イタリア&世界に学ぶ地方創生)
大前研一
株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役社長/ビジネス・ブレークスルー大学学長1943年福岡県生まれ。早稲田大学理工学部卒業後、東京工業大学大学院原子核工学科で修士号、マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、常務会メンバー、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。以後も世界の大企業、国家レベルのアドバイザーとして活躍するかたわら、グローバルな視点と大胆な発想による活発な提言を続けている。現在、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役社長及びビジネス・ブレークスルー大学大学院学長(2005年4月に本邦初の遠隔教育法によるMBAプログラムとして開講)。2010年4月にはビジネス・ブレークスルー大学が開校、学長に就任。日本の将来を担う人材の育成に力を注いでいる。
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