障害を持って生まれた娘が教えてくれた、インクルージョンの大切さ

【連載第3回】「IoT/AIによる障害者のソーシャル・インクルージョンを実現する」ことを目的に設立した「スマート・インクルージョン研究会」の発起人・代表の竹村和浩氏が目指す「インクルーシヴ社会」とは何か? さらに東京オリンピック・パラリンピックに向けた先進的なビジョンと、その先に広がる日本の未来を、IoT/AIの活用という視点で語ります。 もしあなたに、ある日突然「障害を持った子供」が生まれたら、どうしますか? 3回目は本連載の著者・竹村和浩氏の「障害のある子供を授かる」という自身の体験を通して学んだ「インクルージョン」の本当の意味、大切さについて語っていただきました。

記事のポイント

●「知らないこと」が、不安や恐怖、拒否感、そして差別意識を生み出す
●ダウン症のある娘が生まれた時から始まった新たな人生、新たな闘い
●障害に対する理解を得られず苦労した小学校入学当初の経験
●障害は、本人にではなく、それを受け入れられない「社会」の側にある

前回までの記事はコチラ

【第1回】障害があってもなくても誰もが同じ地平で生きていく―インクルーシヴ社会を理解する
http://biblion.jp/articles/DQ7lr

【第2回】分離からインクルージョンへ! 障害のある子もない子も同じ場で学ぶ教育とは?
http://biblion.jp/articles/tJ5k2

障害=「不幸」ではない

障害を持った子供を授かった日

私には、ダウン症のある娘がいます。
娘が生まれたのは、今から15年前、故郷金沢で妻と長女とともに、一時的に暮らしていた時のことでした。

当初診てもらっていた病院から、ある日「胎児の心拍数に少し異常値があるので、検査をしたい」と告げられました。すでに臨月に達していたので、やや戸惑いながら検査を受けたところ、医師から「万が一のことを考えて帝王切開にしたほうがよい」と言われ、さらには羊水検査を勧められました。羊水検査とは、羊水中の物質や胎児の細胞をもとに、胎児の染色体や遺伝子に異常がないかを調べる検査です。

ただ、この時はすでに臨月だったこともあり、仮に胎児に何か問題があったとしても、今更どうしようもない、ということ。また、妊娠当初から「どんな子供であっても、天が授けてくれた子供は私たちの子供」という夫婦共通の思いがあったので羊水検査は受けず、また諸事情により別の病院に転院することにしました。

やがて迎えた出産の日、長女の「病院に行こう、行こう」という言葉に押されて病院に行くと、ちょうど可愛い女の子が生まれたばかりでした。私は生まれたばかりの娘を抱かせてもらったのですが、その直後、主治医から「お父さん、ちょっといいですか?」と声をかけられ、別室に案内をされました。

主治医は深刻そうな表情を浮かべながら、「大変申し上げにくいことですが、おそらく娘さんは、障害をもってお生まれになったと思います」と言いました。続けて医師はこう言いました。「これから染色体検査をしてみないと正式には申しあげられませんが、顔の特徴や指の関節の特徴から見て、ダウン症であると思われます」。

「障害」「ダウン症」という言葉を聞いたとたん、医師の表情とも相まって、なんだか大変なことが起こった、というショックと不安な気持ちで心がいっぱいになり、私はどうしていいか分からなくなってしまいました。さらに医師は、「これはご主人のご判断にお任せ致しますが、産後の肥立ちのこともありますので、奥様には退院までは伏せておかれることをお勧めいたします」と言いました。その日から、私は何か重い鉛のような物を胸に入れられたような憂鬱な感覚とともに日々を過ごすことになるのです。

スマート・インクルージョンという発想 IoT/AI×障害者が日本の未来を創る!

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IoT/AIの活用による、障害のある人もない人も、誰もが安心・安全に暮らせる心豊かな社会の実現と、障害者の視点からのIoT/AIの開発を目指して活動している「スマート・インクルージョン研究会」代表の著者による、スマート・インクルージョンという考え方の提唱と、同研究会のビジョン・取り組みを紹介する一冊。

不安や差別の原因は、「知らない」ということ

こうして、私たち家族のもとに、15年前、下の娘がやってきてくれました。ここまで読まれた方の多くは、やっぱり障害はよくないこと、あってはならないこと、と感じられたかもしれません。ですが、今から思えば、医師からの告知の際、私の中で生まれた重い鉛のような感覚や、私の人生に大変なことが起こった、という感覚は、あくまで私個人のその時の感覚・感情であって、決して真実ではなかったのです。

真実ではない、とはどういうことでしょうか?それは、その後、ダウン症のある娘と暮らした私たち家族の生活、人生が、当初の戸惑いや不安とは異なる、むしろ、とても幸せにあふれた生活、人生であった、ということです。

娘の持つ、ほかの子供にはない愛らしさ、可愛らしさ、その独自の感性の豊かさによって、私たち家族はむしろ娘によって癒され、彼女は私たち家族にとって、なくてはならない存在となっていきます。ダウン症のある子供は、一般的にその成長スピードは遅いのですが、ゆっくりとしたその小さな成長が、本人にとっても周囲の人間にとっても大きな喜びにつながることを娘は教えてくれました。

医師からの告知の際に私が感じた感情や思いは、今から思えば、単に「障害」や「ダウン症」ということについて「知らなかった」というところから来ていたことを、今の私は断言することができます。

世の中には、障害を持つ人たちへの差別が残念ながら、存在します。もし、私自身が幼稚園や小中学校、高校などで、一人でも障害を持つ子供やダウン症を持つ子供たちが同じクラスにいるという経験をしていたなら、これほどのショックを感じることはなかったでしょう。人間は知らないことに対して、必要以上の恐怖や、恐れ、不安を抱くものなのです。

ちなみに、今ダウン症を巡っては、「新型出生前診断」による、堕胎・中絶の問題があります。新型出生前診断とは、母体から採取した血液で胎児の染色体異常を調べる検査です。現在日本では、この検査の結果が陽性の場合、なんと“堕胎・中絶率は98%”と言われています。検査精度は100%ではないにもかかわらず、陽性と言われたほとんどの方が「授かった子供を生まない」という選択をしているのです。
一方、陽性と診断されても産む選択をする親の多くは、過去に同じクラスにダウン症の子供がいた、というように、身近に障害を持った人たちがいたことが、障害を持っているかもしれない子を産む、という選択を支えていることも明らかになっています。この統計からも分かるように、「知らない」ということが、障害を持った子供を生み育てることに対する不安感、恐怖感、拒否感、差別意識を生み出しているのです。

娘とともに学んだ「インクルージョン」という理想の社会

最初は差別を受けた教育の現場

保育園は近所の区立に通いましたが、ここでは、保育士さんが特に指示しなくても、娘をサポートしてくれる子供たちが、それも自主的に複数でき、園庭で中休みの時間が終わっても分からずに鉄棒にぶら下がっている娘を、何人もの「○○(娘の名前)ちゃん係」と呼ばれる子たちが自然な形で連れ戻してくれ、クラスでちょっと問題があると言われる子たちも、積極的にお世話をしてくれていました。そこは完全に「インクルージョン」(http://biblion.jp/articles/DQ7lr)された世界でした。
しかしその幸せな時間は、小学校入学とともに終わりを告げることになります。

卒園後、娘はそのまま地域の公立小学校の通常学級へ入学しました。ところが、入学してしばらくたった頃、問題が起こり始めます。入学当初のご挨拶の際、「あまりお構いはできませんけれども」と言われた担任の言葉がそのまま形になって表れたのです。
その小学校は、特別支援学級(障害を持つなど、特別な支援を必要とする子供のための学級)がある学校だったこともあり、特に学校側に相談もせずに通常学級に入った私たちの娘は、必ずしも学校から歓迎はされていなかったようなのです。

例えば、私や妻が心配で娘を観に行くと、私たちの目の前で、教室移動の際どうしていいか分からずに固まっている娘を他の子供たちが連れて行こうとしていました。ところが担任の先生から、「人のことはいいから、あなたたちは先に行きなさい!」という言葉が発せられ、娘は親の観ている前で教室に置き去りにされる、ということが続きました。またある時は、中休みの後、娘がまだ校庭で遊んでいるにもかかわらず、そのまま放置され授業が進められてしまうこともありました。

障害は「社会の側」にある

「お構いできませんが」という言葉の意味はこういうことだったのか……。
私は、その状況を改善してもらうために、校長や教育委員会に掛け合いましたが、学校側にそのような意図はない、と言われ、状況は変わりませんでした。私たちには、「あなたの子供には通常学級は無理」と言われているように思え、また元教員でもあった私としては、教育に携わる人たちが、「障害がある」という理由だけで、子供に理不尽な対応をすることが許せず、ついには署名活動をするに至りました。

区長に区議会議員を通じて、2度にわたる請願をしましたが、徒労に終わりました。教育委員会というところは不思議なところで、まるで治外法権でもあるかのように、首長の言うことでも聞かなくていい、という空気があります。結局、何ら状況は改善されず、同じクラスにいた他の障害を持つお子さんは、ついには諦めて転校してしまいました。
最後たまりかねた私たちは、日本ダウン症協会に所属し、その理事会で窮状を訴えました。こうして協会から、区長、教育長、校長へ、状況改善のための要望書が出され、ようやく事態は収束しました。

今では、担任の先生とも和解し、よき理解者となってくれていますが、この経験を通して私は、この日本で、また日本でも最も障害児の支援が進んでいると思っていた東京で、障害を持つ子供が通常学級へ通う=「インクルージョン」する、ということがいかに難しいかを思い知ることとなったのです。また障害というのは障害を持つ本人にあるのではなく、「それを受け入れない社会の側にあるのだ」ということの意味を深く理解することができました。

インクルージョンの可能性を探る

娘は、6年間この小学校に通い、その間、担任の先生は何人か変わりましたが、その先生方は異口同音に、「みんなと同じクラスにいることは、○○ちゃんにとってもいいことだけれど、それ以上に、周りにいるクラス全員にとってもいいことです」と言ってくれました。
実際にそうだったと私も感じます。本当ならば、少し荒れるかも、と心配されたクラスでしたが、6年間イジメはゼロでした。

また、勉強に全くついていけていなかった娘に、学年の変わり目ごとに「杉の子学級(特別支援学級)に行く?」と聞きましたが、「行かない」というので最後まで6年間、保育園で過ごしたみんなと過ごすことになりました。
その結果、今娘は、近所を歩けば地域の人たちが、「○○ちゃん!」と自然に声をかけてくれるようになりました。また、学年を超えて、たくさんの子供たちから気軽に声をかけてもらえるようになっています。

こうして私は娘を通して「インクルージョン」の意味と大切さを、身をもって学びました。
そして今私は、これまでの自分の経験を通して、障害のある子供も大人も、ない子供も大人も、誰もが、安心・安全に暮らし、またお互いを思いやることのできる、心豊かな社会=「インクルージョン」という社会の可能性を探り、インクルージョン社会を日本のみならず、世界中で築いていくべく様々な活動を行っているのです。
(次回へ続く)

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