相模原・障害者施設の殺傷事件に思う。私たちはどちらの未来を選択するのか?

【連載第9回】IoT/AIによる「障害者のソーシャル・インクルージョンの実現」を目的に設立された「スマート・インクルージョン研究会」代表の竹村和浩氏による連載第9回。今回は、先日、相模原市の障害者施設で発生したショッキングな殺傷事件を受け、改めて障害者の命の尊厳と、障害者とともに生きる社会とはどうあるべきなのか? について語っていただきました。

記事のポイント

●相模原事件に感じる憤りと絶望感
●今こそ日本社会にインクルージョンを!
●なぜチャップリンは、来日時、最初に刑務所に行ったのか?
●私たちはどちらの未来を選択するのか?

前回までの記事はコチラ

【第1回】障害があってもなくても誰もが同じ地平で生きていく―インクルーシヴ社会を理解する
http://biblion.jp/articles/DQ7lr

【第2回】分離からインクルージョンへ! 障害のある子もない子も同じ場で学ぶ教育とは?
http://biblion.jp/articles/tJ5k2

【第3回】障害を持って生まれた娘が教えてくれた、インクルージョンの大切さ
http://biblion.jp/articles/PFWEl

【第4回】“子供より先に死ねない親たち”の思い
http://biblion.jp/articles/H9trE

【第5回】2020年東京オリパラが「AI/IoT×障害=?」の答えとなる理由
http://biblion.jp/articles/26RZn

【第6回】障害×AI/IoT=イノベーション 「障害者」の視点が、日本のスマート技術を飛躍させる!
http://biblion.jp/articles/MRWxP
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【第7回】AI(人工知能)は、障害者支援の夢を見るか?
http://biblion.jp/articles/vqy2n

【第8回】日本はスーパーコンピューターで世界トップの座につけるのか?
http://biblion.jp/articles/oJEiE

相模原事件に感じる憤りと絶望感

このコラムを執筆している最中、私の耳に衝撃的なニュースが飛び込んできました。
神奈川県相模原市の障害者福祉施設に刃物を持った26歳の若者が侵入し、施設内の19名が死亡、26名が重軽傷を負った、というものです。

身柄を確保された容疑者は、「障害者がいなくなればいいと思う」という主旨の供述をしているといいます。また、「重度障害者は生きていても仕方がない」「障害者は不幸を作ることしかできない」といった発言をしていたと報道されています。
今回の事件は、私のように障害のある子供の親としては(私にはダウン症のある娘がいます)、余りにも衝撃的なニュースです。

以前書いたコラム「“子供より先に死ねない親たち”の思い」でも述べさせていただいたように、これでは益々、私たち障害のある子供の親としては「先には死ねない」気持ちにならざるを得ません。

現在、多くの障害を持つ子の親のいわば“唯一の頼みの綱”である障害者施設が、このような暴漢に襲われ、障害を持っている、という理由だけで殺戮されてしまう。こんな社会に一人子供を残して逝くわけにはいかないと、強い憤りと同時に深い絶望感を抱えてしまいます。

今こそ日本社会にインクルージョンを!

今回の相模原市の事件を踏まえて私が改めて感じているのは、「今こそ日本は、障害があってもなくても平等に生きていける社会“インクルージョン”に舵を切るべき時だ」ということです。この凄まじい事件の背景にあるのは、異質なものを排除しようとする、同調圧力の強い日本社会と、いじめに象徴される弱者への攻撃を是認する社会の構造があるといえます。さらに言えば、だからこそ日本は「インクルージョン」を全面的に取り入れる必要があるということなのです。

この連載の最初の記事でも記したように、世界的な潮流としてインクルージョンとインクルーシブ教育が進んでいる最中、ここ日本は、いまだ統合教育の段階に踏みとどまっています。日本政府は、2013年に「国連障害者人権条約(UNCRPD)」に批准しましたが、インクルーシブ教育に関しては、「それぞれの障害の状況に応じて」という一文により、基本、現場の各市町村の教育委員会にその裁量が任され、それぞれの市区町村、東京都でも各区によって対応がバラバラなのが現状です。

たとえば、本来の人権条約の精神に基づき、障害のある子供たちのニーズと親の希望に基づき、その希望通りの環境を教育相談という形で実現する区があるかと思えば、ダウン症や自閉症などの従来の知的障害がある場合には、たとえ通常級を希望しても教育・就学相談の中で、支援学級や支援学校へと誘導される場合もあります。

また最近では、発達障害の子供達の支援のために(無論、支援は必要ですが)、それまでは普通に通うことができた地域の特別支援学級にも所属することが難しく、十分、通常学級に通える子供でも、特別支援学校に通わざるを得ないケースも増えてきているといいます。
日本はこと教育についていえば、未だにインクルージョンではなく、エクスクルージョンの社会と言わざるを得ません。そして、社会での差別がなくならない最大の原因が、「小さいころ、障害を持つ友達やクラスメートに接する機会がない」ということにあります。事件の容疑者は、中学時代にクラスに障害を持つ生徒がいた、と述べているようですが、実際には、中学では既に考え方が固まりつつあり、できれば幼児期からインクルージョンすべきであるといえます。そして、身近に障害者がいなかったので、知らない、知らないから、わからない、わからないから怖い、という感情に繋がり、それが最終的に差別意識を生むのです。

インクルージョンとは、適切な支援があれば、通常学級に通える子供たちを受け入れ、それによって、知らないから差別する、という悪循環を断つことに繋がり、また、どんな障害を持っていても社会で受け入れられ生きていく、ということを保障する社会を築くことにつながるとても大切な考え方なのです。

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IoT/AIの活用による、障害のある人もない人も、誰もが安心・安全に暮らせる心豊かな社会の実現と、障害者の視点からのIoT/AIの開発を目指して活動している「スマート・インクルージョン研究会」代表の著者による、スマート・インクルージョンという考え方の提唱と、同研究会のビジョン・取り組みを紹介する一冊。

なぜチャップリンは、来日時、最初に刑務所に行ったのか?

かつて喜劇王チャールズ・チャップリンが来日した際、彼が日本に着いて真っ先に希望し向かった場所は、刑務所であったといいます。刑務所では、社会的に問題があるとして収容されている受刑者たちが暮らしています。彼はなぜ真っ先に刑務所を訪れたのでしょうか?
チャップリンは、「その社会が本当はどんな社会であるかを知るには、一番問題を抱えている人のいる場所を見るに限る。そうすれば、その社会が表面的にはどうであれ、本当は人間をどう扱う社会なのかが一目でわかるから」と言ったそうです。

こうしたチャップリンの考えは、刑務所だけでなく児童福祉施設や障害者施設においても当てはまるのではないでしょうか。なぜなら、社会で最も恵まれない立場にある人が、その社会でどう扱われるかが、その社会の本質、さらに言えばその社会の「人の心」を示すバロメーターになるからです。

戦後、もののない時代から高度経済成長を経て、日本は豊かになりました。そしてこれから、社会は様々なテクノロジーの発達によって多くのものが自動化されていく時代を迎えます。このとき、「人の心」はどうなるのでしょうか?

一時期、「心の時代」という言葉が喧伝されましたが、時代は益々、心を置き去りにしてきているように思えてなりません。とりわけ、障害を持つ弱者を社会から隔離しようとする社会の風潮、その一つの結果が、今回の事件の遠因としてあるように思えてならないのです。

私たちはどちらの未来を選択するのか?

先に述べた「自動化されていく時代」を牽引していくのは、間違いなくAI/IoTです。また、障害があってもなくても平等に生きていける社会“インクルージョン”を実現するためには、AI/IoTの力が必要です。
ただ、ここで私たちが考えなくてはいけないのは、AI/IoTが実現する未来には“2つの可能性”があるということです。

ひとつは、人類が機械に使われ奴隷化する暗黒のディストピアな未来
もうひとつは、人類が生きるための労働から解放される明るいユートピアな未来

です。
そして障害者の視点から言えば、

ひとつは、障害者が安心・安全に一生涯をAI/IoTに見守られながら暮らす未来
もうひとつは、生まれる前からも障害を社会から排除し、障害者が暮らしにくい未来

です。

さて、私たちは、どちらの未来を選択するのでしょうか?
障害など、何か理由があれば、排除されてしまう未来なのか? それとも、どんな問題や困難を抱えたとしても、安心・安全に暮らしていける未来なのか?

これは、社会全体の問題というよりも、私たち一人ひとりの意識と心の問題です。私たちがどのような社会を望むのか? そのために今何ができるかを考えていく必要があります。
そしてこの“選択”ということを考えるとき最も重要なのは、何を置いておいても「障害を持つ本人が、自分自身がどうありたいか」という障害者自身の意思が尊重されるべきである、ということです。

今回のあまりにも凄惨な事件についても、あえて誤解を恐れずに言えば、どんな障害をもって生まれてきたとしても、私は、その命の尊厳というものは等しく存在すると考えます。障害者の安楽死も受け入れることはできません。仮に安楽死という哲学的な問題を残したとしても、あくまでも本人の意思が尊重されるべきであり、何人もその命を奪う権利はないのです。
皆さんも、今回の事件を踏まえて、障害者とかかわる社会のあり方、あなた自身の心のあり方について、ぜひ一度じっくり考えてみていただきたいと思います。何かができない、困難である、という障害は実は誰でも大なり小なり持っています。まして高齢になれば、誰もが障害を持つリスクを抱えています。
この問題を、どうか他人事としてとらえないでください。以前にも書いたように、障害は決して不幸ではありません。それをどうとらえるかという、一人ひとりの心の選択が、障害を作り出すのです。

どんな障害を持っても、またどんな状況の人でも受け入れられ、安心・安全に暮らせる未来。それを私たち自身が自らの意思で手に入れるために、この問題を他人事ではなく、自らの未来の選択としてとらえてほしいと切に願います。2度とこのような事件を起こさないためにも。
ここで、日本で最初に重度心身障害者のための施設を創設した、糸賀一雄氏の言葉をもう一度かみしめたいと思います。

「この子らを、世の光に」

私たちの社会を、インクルージョンと、思いやりの心という「光」で照らしてくれる障害のある人たちを、私たちは守り続けなければならないのです。

最後に、マスコミ関係者の方にお願いです。
犯人の発した「障害者など…」といった障害のある人への差別的な発言を繰り返し報道することがないように、ぜひ自粛をお願いいたします。マスコミが、繰り返しそれらの言葉を報道することにより、知的障害者がその言葉を見聴きして、実際に深く傷ついています。
彼の間違った思想への共感の流布を防ぐためにも、自粛を心からお願いいたします。

(次回へ続く)

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