分離からインクルージョンへ! 障害のある子もない子も同じ場で学ぶ教育とは?【連載第2回】

【連載第2回】「IoT/AIによる障害者のソーシャル・インクルージョンを実現する」ことを目的に設立した「スマート・インクルージョン研究会」の発起人・代表の竹村和浩氏が目指す「インクルーシヴ社会」とは何か? さらに東京オリンピック・パラリンピックに向けた先進的なビジョンと、その先に広がる日本の未来を、IoT/AIの活用という視点で語ります。 みなさんは、バリアフリー、ユニバーサル・デザインといった言葉をご存知かと思いますが、その意味や違いを正しく答えられますか? 連載第2回の今回は、これら用語の成り立ちと理念を解説。そこから広がっていったインテグレーション、インクルージョンの流れを、教育の分野に目を向けて考えてみたいと思います。

障害児と健常児を一緒にした結果、問題点も……。

アメリカで始まったインテグレーション、統合教育は、ノーマライゼーション実現の手段と考えられました。それまでは、隔離・分離(セグリゲーション/segregation)されていた障害児を、「障害のない子供たちと分け隔てなく受け入れていくこと」を理念としたのです。

それ以前は、障害児教育と通常教育は別の制度として運用されていたものを、共同学習や交流などを通じて「統合」しようとする考え方です(現在の日本の特別支援教育は、このノーマライゼーションに基づく、統合教育の流れを汲んでいるといえます)。

障害児教育と通常教育の生徒たちが、交流などを通じて相互理解を含めるという考え方そのものは、一定の効果を生みました。しかし、障害児とそうでない子供たちをまず分けて考えるという、ある種「2元対立の2原論」に基づいている点で問題を残しました。“障害のある子供たちが、ない子供たちと違和感がないように言動を制限される”ことなどが問題として指摘されるようになったのです。

メインストリーム(主流教育)からインクルージョン教育へ

分離と内包の中間をとった、メインストリーム

その問題を解決するために考え出されたのが、次に紹介する、「メインストリーム」(主流教育)という考え方です。

「メインストリーム」(主流教育)は、インテグレーション(統合教育)の不足を補うために、“障害児を通常学級に出席させるとともに、障害児学級にも通わせる”という、いわば分離とインクルージョンの間をとった考え方です。

ただしこの場合も本来、前提として障害を持つ子どもたちと健常児を「分ける」という2原論に立つ点と、“交流などが形骸化する”という問題点が次第に明らかになってきました。

そして、「本来、人間は障害児・者、健常児・者ともに同じ社会で暮らしており、教育もそのようにあるべきである、障害は個性の一つである」という考え方に基づいて生まれたのが、「インクルージョン教育」あるいは「インクルーシヴ教育」という考え方です。
ノーマライゼイションからインクルージョンへ

ノーマライゼイションからインクルージョンへ

障害は“一つの個性”。すべての人は同じ社会に含まれる

インクルージョンは、教育の分野においてはアメリカで生まれた教育理念です(ソーシャル・インクルージョンは、フランス・EUでの社会的経済的格差から生まれた言葉ですが)。

つまり、「インクルージョンとは障害児も健常児も、もともと社会全体の中に「含まれ」(include)ている」という考え方です。「障害が特別なものではなく、一つの個性であり、すべての人に特別なニーズがあり、それは障害を持つ人だけのニーズではない」という考え方なのです。

またインクルージョンは、「障害のある子供も、ない子供も共に同じ場で学ぶことは、単に障害のある子供たちだけではなく、障害のない子供たちにとっても有意義であり、有益である」という立場に立っています。

インクルージョンの理念は、「一人一人の多様性を包含するプロセス」を大切にすることに、その意味の本質があるのです。

(*『実践事例に基づく障害児保育 -ちょっと気になる子へのかかわり』七木田敦編著/保育出版社、2007年、P.19)

(次回に続く)
26 件

この記事のキーワード

この記事の書き手

グーテンブック編集部 グーテンブック編集部