大前研一「エルメスだけ、フェラガモだけの町。イタリアに学ぶ強い地方の作り方」

【連載第2回】鞄や家具などのものづくり、ファッションやオペラなどの文化。歴史的建造物が連なる町並みや穏やかな農村。国のいたるところに文化と産業が息づく町があるイタリア。国家財政・社会情勢が悪化する中、なぜイタリアの地方都市は活気に満ちているのか。イタリアに日本の課題「地方創生」解決のヒントを探る。

本連載では書籍『大前研一ビジネスジャーナルNo.11』(2016年8月発行)より、日本の「地方創生」の課題に迫ります(本記事の解説は2015年7月の大前研一さんの経営セミナー「イタリア『国破れて地方都市あり』の真髄」より編集部にて再編集・収録しました)。

地方に染み込む都市国家の精神

「表面的な統一」であったイタリア統一

イタリアと言えば、まず長靴のかたちをしたイタリア半島を思い浮かべる人も多いでしょう。
そのイタリア半島も、常に現在のような1つの国(政治的共同体)として統一されていたわけではありません。ここで、イタリアを語る上で欠かすことのできない都市国家の歴史を紐解いていきたいと思います。

図-5が示すのは、イタリア半島の都市国家の変遷です。
紀元前500年頃はギリシャ、エリトリア、イタリアなどで分かれていましたが、500年頃からビザンティン帝国 の侵出など、領土を取ったり取られたりということが続きます。
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15世紀中頃には、各地に都市国家が形成され、1815年には、フランス革命とナポレオン戦争終結後のウィーン会議 において欧州の秩序構築とともに領土の分割が行われました。そして1861年にイタリア王国として統一されます。

ところがその後、北方のトリエステ、ヴェネツィアなどの地域はオーストリア、ハンガリー帝国に持っていかれました。オーストリア、ハンガリー帝国は工業レベルの高い国でしたから、そのような二重帝国に支配されたことが、結果的に北イタリアにとってよい財産になったと言えます。この支配時代があったおかけで、北イタリアの工業化の地盤がつくられたのです。

このように歴史を辿ると、統一された1つの国家としてのイタリアの歴史はさほど長くなく、都市国家として各都市が独立していた時代が長かったことがわかります。1861年のイタリア王国統一も、言ってみれば都市国家の伝統が非常に強く残った状態での「表面的な統一」だったのです。

自分を「イタリア人」と言わないイタリア人

都市国家の伝統の色濃さは現在も、各地方の意識の違い、独自の文化に表れています(図-6)。

かつて北イタリアでは独立志向が高まり、北部同盟 という団体が独立運動を起こしました。実は私自身、1995年に『The End of The Nation State(邦題:地域国家論) 』という本を英語で出版したことで、この北部同盟の方々から支持を得ていまして、出版後にカナダのケベック州、スペインの数カ所、そしてイタリアのロンバルディア州から講演を依頼されました。
講演は本よりも穏やかな内容にとどめて、中央政府に睨まれないように気をつけましたが、そのような講演を熱心に開催するくらい、一時期は北部同盟の動きが活発でした。
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また、ヴェネツィアは水の都、フィレンツェは花の都、ボローニャは欧州最古のボローニャ大学で有名な学芸都市、ローマは永遠の都、ジェノヴァは海洋国家……など、各都市がそれぞれに特徴的な顔を持ち、そこに暮らす人々がみな自分を「ヴェネツィア人」「ナポリ人」と表現するのも興味深いところです。

日本では自身を「東北人」「北陸人」とは、あまり言わないですよね。イタリアでは、「イタリア人」ではなく、地方の名前で自らを称する人のほうが多く、そんなところからも、地方に対するアイデンティティの強さが窺い知れます。カンパニリズモ=郷土愛が非常に強いのです。

いずれの地方にも美しい町並みがあり、食べものが美味しく、中央政府を憎み、国への帰属意識が低い。イタリアの各地方の共通点を挙げるならば、そんなところでしょうか。

地方自治の単位は州・県・コムーネ

イタリアの地方自治は、国(stato)の下、州(regione)、県(provincia)、コムーネ(comune) の3層体制で行われています(図-7)。日本に置き換えると、現状の都道府県に「道州制」を導入するようなイメージです。
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州は1861年の統一以前の王国や諸公国を踏襲するかたちで、1970年代に設置されました。普通州が15、特別州が5あります。その下で国の地方における事務を統括しているのが県で、103あります。

教育、警察などにおける国家行政もこの単位で動いています。そして、その下に基礎自治体としてあるのが、全8,057のコムーネです。

イタリアでは近年、国から地方団体(県・コムーネ)へと権限移譲が進んでいます。
もともとは都市国家であったところ、第二次世界大戦前に当時の首相ムッソリーニがヒトラーに倣って実施したのが、強固な中央集権でした。その時期を経てふたたび、地方分権が議論され始め、1970年には自治権の一部が州へと移譲し、憲法改正なども経て、現在は県・コムーネにも自治権が移譲されつつあります。

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イタリアに点在する多彩な地方都市

GDP、失業率ともに差が開く南北格差問題

図-8の左側は、イタリアの地域を特徴ごとに色分けしたものです。大まかには北部・中部・南部の3つに分かれ、北部はさらに東・西に、南部は半島南部・島嶼部に分けられます。
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前述の通り北部は、ハンガリー、オーストリア、ドイツなどの影響で工業化が進みました。北西部はミラノ、トリノなど、北東部はヴェネツィアといった街が特に有名です。

そしてトスカーナ州などがある中部には、フィレンツェ、ローマのほかにも、特徴的な産業を持つ小さな地方都市が数多くあります。

対して、ナポリなどがある南部は農業、観光業、軽工業が中心ですが、北部との格差が非常に大きいという問題を抱えています。

同図の右側をご覧ください。イタリアの地域別の1人当たりGDPは、北部では4万ドルを超えており、中部でも約3万6,000ドル。ところが南部・島嶼部は2万ドルを少し超える程度です。とはいえ、農村が多いので、いわゆるスラムのようにはならないのですが、それにしてもずいぶんと差があります。

また、失業率もイタリア全体では10.7%であるのに対し、南部・島嶼部は17.2%と高くなっています。北東部は6.7%と、欧州全体と比べてもかなり低いのですが、南部ではここまで上がってしまいます。このような南北格差が、イタリアにはあるのです。

地方都市は自前の産業で自立している

地域色が強いイタリアは、各都市に細分化してもそれぞれに特色があります。図-9はイタリアの各都市の特徴を示したものです。
ご覧いただくとわかりますが、自前の産業を持っている都市がたくさんあります。

ベッルーノの眼鏡、ウディネの家具、モンテベッルーナの靴…人口規模がさほど大きくない都市も多く、産業としては1つに特化しています。
サルディーニャ島は御影石の製品にコルク製品、パルマはプロシュットなどの食品、モデナには世界中のファーストカーが集まっています。
こうした町がおよそ1,500あり、その1,500それぞれが、このようなニッチ商品で世界に冠たるポジションを得ているのです。
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これらの都市のすごさは、自分たちでブランドを持って売っているだけでなく、例えばエルメスのバッグの金具だけを作る、フェラガモの靴のスリングだけを作るというように、「狭くて深い」部分に従事し、高級ブランドの信頼を得ることで、それらを非常に高い価格で売っていることです。

エルメスのスカーフと聞くとフランス産だと思う方もいらっしゃるでしょうが、実はミラノから北に1時間ほど行ったイタリアのコモで作られています。
また、「どこの会社の何」ではなく、「パルマのプロシュット」といった具合に、都市全体のブランドとして世界的に認知されているものも数多くあります。

このような都市の産業の特徴として、中小零細企業が多いという点も挙げられます。イタリアでは従業員が15人を超えると税金が上がるので、15人以上の規模になる場合は誰かに独立してもらい、新たに15人未満の会社を作るというケースが多いからです。そして、それらの小さな企業が都市の中でクラスターを形成していきます。
(次回へ続く)
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